紬紬、您慢走

主に育児

性教育の段階(1)

 

 

①自分、他人(相手)のセクシャリティの扱い方

 

・自分や相手のセクシャリティー(性別、性的嗜好)はその人の人生を豊かにする上で重要なことなので大切に扱わなければいけない

将来恋人を作ったり家族を築くとき自分のセクシャリティーは大きな意味を持つ

 

 

⑴むやみに触れない(話題・身体)

 

・性的な話題

自分の人生においてとっても大事なセクシャリティーは、その重大さ、個人個人で考え方に大きな差があること、非常にプライベートなことから軽々しく話題に上げてはいけない

親密な関係の人同士や、意見を交換する場だけで話そう

 

 

・身体

水着ゾーンは触れない・触らせない

 

 

⑵性別、性差をよく知る

 

 

 

 

あっという間に8ヶ月

 

離乳食が始まり、回数も2回食に増えた。食べられるものも少しずつ増えて順調な気がしたけど、今日は殆ど受けつけずで、まあこんなもんだろうと頭では分かっていながら私は不機嫌だったかもしれない。

最近のつむつむは前より感情が顔つきに表れている気がする。今日は日中楽しくなさそうで、なんだかこちらの様子を伺っているような気がしたのは、私の不機嫌を察してのことだろうか。洸貴君が帰ってきて私も安心し、洸貴君と遊んでいるつむつむは心底楽しそうに見えた。

つむつむとはテレパシーみたいなもので繋がっているようにも思う。手に取るように彼女の気持ちが分かるような気がするときがある。逆に彼女も私の気持ちが分かるのだろうか。

テレパシーで繋がっているからこそコミュニケーションは大事なのかもしれない。根幹にはポジティブな感情があるのに表面にあるネガティブな感情だけが伝わってしまってはいけない。色々な方法で繋がっているとお互い安心だし正確やね。

 

 

つむつむは最近夜は添い寝で寝られるようになった。夜中もほぼ起きない。夜間断乳万歳!ただ、どんな寝方でも寝顔が可愛いのは変わらない。

 

つむつむは5ヶ月になりました

 

 

先日、つむつむは生後5ヶ月になった。産まれてすぐのころは、まだまだ自分の体も節々が痛んでいたし、本当にか弱い、小さいつむつむの世話をすることが大変で、1日1日が長く生後1ヶ月経った日はやっと1ヶ月経ったか、と思っていた。そのときは月齢が上がれば(つむつむも自分も)出来ることも増える、今は辛抱の時期と思っていたので、5ヶ月は夢のまた夢だった。

 

つむつむが最近出来るようになったことは

トントンで寝る

自分のつま先を持ってY字バランス

バーとブーの発音

吊り下がってるおもちゃのくるくるまわる部分を触って回す

 

最近の様子は

手を口に見たててパクパクした流れでつむつむの手をパクっと食べるようにするとめちゃくちゃ笑う

いないいないばあで笑う

お風呂の後よく泣く

ベビーカーは楽しそうに乗っている

抱っこ紐嫌がる時間が多い

鼻と鼻を擦らせると笑う

大きい公園に行くととても機嫌が良い

 

という感じで、最近はつむつむのお世話が楽しい。辛抱の時期は気づけばあっという間に過ぎていて、いつの間にかつむつむも成長して嬉しいことが増えている。

 

保育園でのつむつむ

 

つむちゃん最近保育園慣れてきたみたいやねぇ、と保育士さんが話してくれた。連絡帳に書かれてある飲んだミルクの量が、日に日に増えている。笑顔も度々でるらしい。つむつむも新しい環境を懸命に受け入れようとしているのが、愛らしいが切なくもある。

 

保育園の送り迎えをすると、いつもつむつむより先に登園している子や、つむつむと少し月齢の近い子にも出会う。皆んな私に笑ってくれるし、話しかけてもくれる。言葉数は少ないが、素直で人懐っこい可愛い子たちだ。

 

つむつむより少し月齢の上の子だってまだまだ頬のあたりに赤ちゃんらしい丸みが残っているのに、つむつむが泣いていると自分は泣くのを我慢している。子供だろうが何にも分からない訳ではないんだろうね。子供でも周りをちゃんと見て、分別ある行いもちゃんとできる。そういう子達を見る度、保育園に預けることはそんなに悪くないんだということを改めて思う。

 

それでも、つむつむを朝保育園に預けて職業訓練に向かっているときは、つむつむは寂しくないだろうか、私と離れることに深い絶望を感じていないか不安になる。つむつむの感じていることを一緒に感じられるようになれれば良いのになと思う。

多様性を否定する人を許容する多様性

LGBTや女性社会進出や障害者雇用の話題をすると、いつまで経ってもアホみたいにその話題の当事者にあたる人達を否定して社会から追いやろうとしている人達がいる。この21世紀に。アホみたいに。無い知識と頭でそれらしく理論づけてはいるものの全くのとんちんかん。

そこに肯定派は言う。「多様性を認めよう。」 

そして肯定派は疑問に思う。多様性を認めるということは、このとんちんかん達も認めなければいけないのか。

そもそも強要すれば多様性とは言わない。何を言われても、それで傷ついたとしても、自分はこう思います、とだけ伝えて相手の話を無理に抑え込んではいけない。ま、そんな人と関わらなければ良いのやけど。関わらざるを得ないときは、耐えるしかないのか。

そりゃ否定する人は否定さえしていれば良いから簡単でしょうな。でも、否定派の意見は何の説得力も持たないただのノイズでしかない。そんなちんけな人間にはなりたくない。

職業訓練

 

今日から職業訓練が始まった。それに伴い、つむつむの保育園も始まった。

生後4ヶ月が経ち、明らかにか弱い、生まれたての姿からいつのまにか赤ちゃんらしい丸いフォルムになったつむつむは、毎日ベストオブ可愛いを更新する。この貴重な時期に保育園に預けることが、目前になって惜しく感じ始めた。

他の家庭もそうだろうけど、沢山の選択肢から自分の家庭に適した選択を選ぶものだと思う。本当に沢山の選択肢があって、その一つ一つの先にもまた選択肢がある。私は0歳児クラスから認可保育園に入れる為に早めに求職し、職業訓練を受けることを選択した。本当に0歳児クラスから保育園に入れることが最善だったのだろうか。今ではよく分からない。そんなに焦る必要はなかったようにも思えてくる。でも職業訓練に受かった今、就職のタイムリミットが決まっているので、シフトチェンジは出来ない。

やりようによってはもっとつむつむと一緒に居られる時間が確保出来たかもとも思えるが、保育園はそんなにつむつむにとって良くない環境なのか?とも思える。ただ親の私が寂しいだけで、つむつむからすればどーでもええわと思うことなのかもしれない。保育園だってつむつむにとっては刺激的で楽しい場所だろうから。そもそも私が日中一緒にいても結局は家事しながらになるし、沢山の人と触れ合える保育園のほうがつむつむにとったら良いのかもしれない。

色々考えたが、早くから働くメリットはお金しかない。いっぱい貯金してあのときこの選択しておいて良かったと思える日が来るように頑張るしかない。

 

つむつむの眼

 

親バカとは承知で、つむつむはきっと賢い子だと思う。そして心の何処かでこれは親バカではない、人より長くつむつむを観察しているから気づくことが出来たのだとも思っている。それも含めて親バカなんだろう。

度々つむつむは物事をしっかりと理解した上で見定めているような眼をする。眉間に少し皺を寄せ、大きな瞳を力強く開け、沢山の光を取り入れている。まだ一人で眠ることさえ出来ない赤ちゃんが、何も言わないで一生懸命にあらゆる情報を吸収しようとしている姿には純な輝きがあり、小さな体から大きな熱量すら感じさせる。

親として、ずっと隣にいる者としては、この本能的な知的好奇心を本人から消さないように関わり続けたい。